メタ
「メタ」という言い回しや概念に魅力を感じるけど、理由はよくわからない。Wikipediaには広義の意味と狭義の意味と二つ載ってるけど、おれが言ってるのは狭義の方かと…。
メタ言語…言語を定義するための言語(SGML、XMLなど)。
メタ批評…批評を批評する批評。
メタ小説…小説についてかかれた小説。
メタ漫画…漫画について描かれた漫画。
メタサイト…サイトについてのサイト。
メタ認知…自己の思考そのものや行動そのものを対象として認識すること。
メタ人生…人の生き方を研究する人生。
メタ人間…人間関係を掌握してることを売りにしてる人?
…と延々と例をあげていくと、何かの拍子に何かがパッとひらめきそうなそうでもないような。
家族SNS
十代の時に家族関係に悩み、十二指腸潰瘍になったりして、どうにも自縄自縛状態から抜け出せず、カウンセリングを受け自分の事を客観視できる瞬間があり、また、家族関係の本を読み理論武装した。
いわば親の教育や生き方はオブジェクト指向プログラミングでいうところのクラスではないかと。同調するにしても反発するにしても。のちの対人関係においては、そこからインスタンスをせっせと作り出しているにすぎない。これが「自分」だといったって、その「自分」には既にクラスが組み込まれている訳で、これは余程努力しないとそこから離れた視点は獲得できないし、獲得できた後にもそれは早々に自我に取り込まれてしまうように思う。ま、物心ついた後は努力して別なクラス作ったり、元のクラスの方向性を修正することはできるだろうけど、三つ子の魂なんとやらで。家族関係の本を読むと、親子関係に苦労してやっと自分の家庭を持ったのに、嫌いだった親と同じことを自分の子供にしていて愕然とした、なんて話が腐るほど載ってる。
そして。十代後半の頃に機会があったので親に対峙したのだけど、キレられて終了。と。ほとんど聞き入れてもらえなかった訳だけど、心情は理解できるが当時は失望した。
そんなことがあったので、親に対しては「離れて共存」というポリシーで今まで来たわけだけど、関係をよりよくできる可能性があるならトライしてみたい。
携帯というツールでは何も変わらなかった。それではネットではどうか。という訳で、家族SNSなんてのをたくらんでます。東京ガスがやってる家族向けSNSのnanotyなんていうのがあって。一所懸命家族向けにカスタマイズされているけど実際どうかは使ってみないとなんともいえない感じ。
nanoty
斉藤孝さんの偏愛マップしかり、mixiのコミュしかり、好きなもので共通点があれば、そこで話ができる。ブログなどの日記があれば、各人がこれ見よがしにならないよう注意すれば、思いをやんわり伝えることができる。そして今より少しでも歩みよれればいいなと。そんな願いを込めて。
偏愛マップ
…そして自分の家族を持てるのはいつになるやら。
リアル・プレース・ラーメン
養老猛司氏が近所の高千穂大学で講演するのでふらっと行こうと思ってたら抽選の入場券が必要なのね。駅のポスターからそこまで読み取れなかった。自分の研究テーマ持ってる爺さん素敵。やっぱりトイレで小用の後、手は洗わないのだろうか。
23日(祝)の現代リアル学@丸の内。中西泰人さん(B-11)のと馬場正尊さん&渡辺保史さんのセッションは是非とも見たい。誰か一緒に行きますか? 公式サイトが死ぬ程ブラウズしずらいよ、これ。
現代リアル学
次の日のPLACE+にも行ってみたかったがこちらは無理か…。どのみち定員に達してるようだし。
PLACE+
来年のラーメンズ公演キターーー。生で一度見たいと思っていたので。
ラーメンズ公式サイト
ダイアログ・イン・ザ・ダーク
行ってからだいぶ経ってしまったけど、書いた方がいいと思うので当時の下書きを元にエントリー。もうだいぶ細部を忘れてしまいましたが。
ダイアログ・イン・ザ・ダークに行ってきました。どういうものか、というのは公式サイトの説明がわかりやすいので引用します。
公式サイト
ダイアログ・イン・ザ・ダークは、日常生活のさまざまな環境を織り込んだまっくらな空間を、聴覚、触覚、嗅覚、味覚など、視覚以外の感覚を使って体験する、ワークショップ形式の「暗闇のエンターテイメント」です。<アテンド>の声に導かれながら暗闇の中を進み、視覚以外に集中していると、次第にそれらの感覚が豊かになり、それまで気がつかなかった世界と出会いはじめます。森を感じ、小川のせせらぎに耳を傾け、バーでドリンクを飲みながら、お互いの感想を交換することで、これまでとはすこしちがう、新しい関係が生まれるきっかけになります。
国ごとにローカライズされているのか、日本版は「日本の田舎の夏」です。虫や鳥、川の音が聞こえる草むらを歩いて、丸太の橋を渡り、バス停を横切って、おじいちゃんの縁側で一休み。その後縁日をブラブラし、ソースせんべいを食べ、線香花火をしてから、1杯飲み物を飲んで終了。そんなシチュエーションなので、開催期間も夏の終わりぐらいなのかも。
参考までに各国版の見つけたサイトです。
ドイツ版
デンマーク版
ウィーン版
1999年から開催しているそうで、今年やっと参加することができました。今後は常設展示することも目指してるそうで。
入場前に視覚障害者が使う白杖をお借りして、それを足元で左右に振りながら移動します。
最初は視覚が奪われた不完全感があります。普段使えている能力が使えなくなる訳で、それがストレスにもつながります。目を凝らしても本当に何も見えないので諦め、目は閉じっぱなしです。
目が見える時は、常に空間に対して、「自分がどちらを向いてるか」「どこから移動してきてどこへ移動しようとするか」などを把握しようとするようです。が暗闇の中ではそれも徒労。次の移動時には毎回裏切られてしまう感じです。ガイドの人や、同行している8人ぐらいの人たちの動きを手がかりにしているところももちろんあるので、真の暗闇に一人きりになることを想像すると慄然とします。
自分の周囲1メートル範囲を常にスキャンしながらの移動なので、多少の上下移動はありますが、靴下の足の裏の感触を頼りに進んでいきます。上から下を見下ろすとか、下から上を見上げるとか、目の見えない人にはそういった上下感覚が殆どないのかも、と思いました。この辺はアテンドの人に聞けばよかったんだけど、なにぶん後で思いついたので。
あとは、見た目なんかの自己イメージが全然相手に伝わらない、とかもありますね。暗闇なので声を出さないことには存在していることを他者に伝えることができないし、お互い見た目の印象を抜きにした声だけの印象でやり取りしている感じ。入場する直前に数分だけ顔合わせしたので誰が誰かほとんどわかりませんでした。
最後に腰掛けて飲み物を飲むんですが、その頃にはすっかり暗闇に慣れてしまい、物足りない感じでした。あぁ。光のある世界に戻るのかと。一瞬こちら(暗闇)が常なる世界で、異なる(光のある)世界に戻ってしまうような感覚もあったりして。
あと時間的にも実際物足りない感じで、一箇所の滞在時間が短いのと、テンポよくどんどん進んでしまうので一シーンごとの自由な時間はずいぶん少なかったように思います。こういう自由時間て結構大事だよなーと思ったり。
最後の質問コーナーで、おばはんが「一般人は如何に公共の場で全盲の人を助けるべきか」みたいな質問ばかりしてて辟易しましたが、別な人の「全盲の人にもお化けがわかる人がいるのか?」という質問に「わかる人にはわかるんじゃね?」的な回答してたのがおかしかった。半分投げやり?みたいな。本当にそう思ってる?みたいな。
ともあれ、こういう世界があるんだということを体験できたことは大きかったなと思います。視覚障害者の人はあの感覚で日常を過ごしているんだというのを垣間見れただけでも。
オフィシャルブログで見つけたのですが、近くのこどもの城で、子供ヴァージョンも開催したとか。どういうシチュエーションだったのか気になります。
あとせっかくなので古典的な「日本の田舎の夏」以外のシチュエーションも希望します。たとえば、、
冬山遭難篇
子供(双子も可)を連れて公園デビュー篇
ケーキブッフェ堪能篇
動く歩道を走れ篇
猫も暗闇体験篇
暗闇でウェブを作ってみる篇
まあ常設展示となれば、飽きられないためにも、四季に対応する意味でも別シチュエーションに期待できそう。
蛇足ながら、盲目の人の書いた小説が読んでみたい。
あと日本の善光寺でも似たようなシチュエーションのものがありました。
善光寺@Wikipedia
戒壇めぐり
こちらは地下の暗闇回廊を歩きながら内省するコンセプトっぽいですね。
来年もまた参加したいです。