circumstance evidence

状況証拠 – ヤザキユウイチ

The World as Instrument

Posted on | 2011-09-20 | 1 Comment

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(ロペス氏が一個しか機材を使ってないらしいので同じものを購入。錬成公園にて。)

藝大で5日間に渡って行われたフランシスコ・ロペス氏のワークショップ「The World as Instrument」に参加してきました。
企画された城さんと以前(私がLTで登壇したsigixdの4回目)お会いして面識があったこともあり、3331からも近いし、何か面白いテーマの講義があれば参加したいなーと、わりと軽い気持ちで参加したのですが、たとえば楽譜からメロディをなぞるようなものじゃない音楽のあり方とか、新しい楽器であるウダーとかテノリオンとか、iPhone/iPadアプリのSoundropをはじめとする、語弊を恐れずいうと直感的な操作の楽器アプリとか、Empty Schoolとか。そういったものの具体的な理論や手法があるなら知りたいなというのが動機でしたが、そこには奥深い世界観が待ってました。即物的な考え方はへし折られましたね。普段向き合っているIT脳とは使うところが違い、理解できなかった部分も多いのですが、せっかく参加したのでメモを元に記録しますが、何分メモレベルなので、参加しなかった方でここから何かを読み取るのは難しいかも。すいませんねぇ。

主題っぽいこと

WSに参加された方(この方の話は明晰だった)が、参加する前に書いているブログ記事でロペス氏の言葉が引用されていて、たぶん主張したいことのエッセンスがここにありそうなので引用します。

「前景/背景に意図的でアプリオリな区別はなく、耳と同じようにマイクの位置にもとづく音の不可避の出現だけがある。私は客観主義をとるのではなく、注意の『焦点』が音環境全体にあると考える」

「これは逆説的な屈折であって、録音を特定の空間に着いての記録や言及という役割に格下げしがちだ。(中略)録音の本質とは音よりも豊かで重要な世界の記録や表象ではなく、音の内的世界に焦点を合わせ、接近する方法である。表象的/関係的レベルが強調されると音は限られた意味や目的を帯び、音の内的世界は消費されてしまう。」

「聴取がプラグマティックな表象という「用途」から切り離されたとき、音楽があらわれる。私はこの権利と自由さを主張する。(中略)私にとって、音楽的状態への到達には深い聴取が、サウンド・マターの内部に侵入することが必要だ。」

「さまざまな種類の録音技術が社会にひろまっていく途中にはいくつかの段階があった。(19世紀半ばから現在にいたるまでの発言にこめられた)録音に何ができるのかという認識の移りかわりにも段階がある。それぞれの段階が音づくりの発想に強い衝撃をあたえていった。この衝撃の下、「現実世界」の音の探求がしだいに知られるようになってきた。」(この段落のみ本WS向けの文章)

授業の内容

時間軸に沿って話が始まり、時間軸と重なるように4つのモードの話がありました。
音と現実のインタラクションモードは4つにわけられるんだ、と。
これ最初は勝手にワークフローというか音をつくる行程的なものかと思ったらそうではなく、さまざまな種類の録音技術が社会にひろまっていく途中にはいくつかの段階があり、録音に何ができるのかという認識の移りかわりにも段階があり、その歴史的経緯から概念別に抜き出したような感じですかね…。

1. The World as inspiration

人間のコントロールできない自然からインスピレーションを受ける音楽のこと。

・エスキモーの歌。笑わない人を笑わせる。ガチョウの声をまねしてる。
・ピグミーの歌。環境音から影響を受けている。森とともに歌う。
・ニューギニア カウリ族。waterfallはすべての音楽をふくんでいると彼らはいう。
これらをインスピレーションのもとにするというような話。

・Music of the Spheres
・Johannes Kepler著の本、Harmonices Mundi
・ミルチャ・エリアーデ

なども参照先として挙げられてました。

2. The World captured

音をキャプチャしようとする試み。

音をつかまえ、音を音源から分離することで現実を再構成する。サウンドモンタージュ。

写真と録音については歴史や経緯がよく似ている。
以前に絵画というフォーマットが存在したため、写真は最初から芸術作品だと(作り手的にも社会的にも)扱われていたが音についてはそうではなかった。音については、写真にとっての絵画のような歴史がない。
音のキャプチャについては元々、声のキャプチャに使わることが多かったが、その後商業的な音楽として「歌の録音」が強力に方向性をあたえられてしまった。そのため、そういったものが先入観として社会に広まっているのではないか。

Virtual Art: from illusion to immersion
http://www.scribd.com/doc/17149258/Virtual-Art-From-Illusion-to-Immersion

Changing Images of Pictorial Space
http://www.goodreads.com/book/show/2220774.Changing_Images_of_Pictorial_Space

3. The World Reconfigured

再編集された世界。

Pierre Schaefferという人が音の哲学、現象学を音に持ち込んだ。
彼はミュジーク・コンクレート(コンクレート=具体的な)というスタイルを発明したが、同じく彼のサウンドオブジェクトの発明の方が重要である。

ミュジーク・コンクレート
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88

「楽器」としてのラジオ?!
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/gota/swmusic/shaeffer.htm

音源と音を切り離して考える。聞く。原因に関わらず音にのみこだわる。現象学的。
抽象的な音、具体的な音とは一体なにか。楽譜によって記述された楽器の音は抽象的といわれる。
しかし楽譜によって分ける分け方は、録音技術の発展とともに違う捉え方が可能である。
音の捉え方の変化。記述の仕方の変化。

4. The World Transformed

意図をもっていない音とどう向き合うか。
元の音を根本的にかえてしまう。元の音はなくなってしまう。これは情報の変形でもある。
これが何の音であるかはわからないし、作者も言わない。

seeing is forgetting the name
http://www.amazon.com/Seeing-Forgetting-Name-Thing-Sees/dp/0520049209

その他印象に残った言葉。

・商業主義で当たり前とされていることも、原理原則に帰ってみると、必ずしもそのまま従う必要にない流儀がある。
・中心をもたない、オープンさのあるコラボレーションネットワーク。
・マルチメディアはむしろ体の中にあると考えている。
・異なる領域の中からあうものをみつけていく共感覚。
・人間のコントロールできない自然からインスピレーションを受ける音楽。
・(これは受講者のお一人の言葉)マクルーハン的な身体拡張は、近代的な考え方ではないかと。extentionじゃなくintention。

その他

同時通訳されてた金子さんが知恵熱出そうなほどぶっ通しで通訳されてたのが凄まじかったです…。
お疲れさまでした。
最後の講義での感想でも述べたのですが、ミュジーク・コンクレートの解釈と咀嚼がまだ中途半端なのでそこをもうちょっと理解して学んだことを何かに活かせたらいいな、と。

関連リンク

WS告知サイト
http://generativemusicworkshop.wordpress.com/2011/07/14/world-as-instrument/

ロペスさん関連
http://www.sonm.es/
http://www.franciscolopez.net/
http://www.shift.jp.org/ja/archives/2008/04/francisco_lopez.html

参加された方のレポート
http://miminowakuhazushi.dtiblog.com/blog-entry-125.html

Comments

One Response to “The World as Instrument”

  1. noriyo
    September 20th, 2011 @ 10:00 pm

    貴重なレポートをありがとうございます
    ひさしぶりにメシアンとかクセナキスとか聴き返してみようと思いました
    でもこのあたりの理論はほんとに難解で私はこれっぽっちも理解できていません(泣)

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